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 達人
◎アーティスト名(よみがな):達人(タツト)
◎生年月日:1962年(昭和37年)7月28日
◎出身地:鹿児島 ◎血液型:A型
◎お気に入りの使用機材:ensoniq ASR-10 & ASR-X ZOOM PS-02
◎favorite&respect:「Red Rain」Peter Gabriel
◎尊敬するアーティスト:世界的活躍の坂本龍一(ミュージシャン)、屋敷豪太(ドラマー&リズムプログラマー)  太陽の塔を作った岡本太郎(芸術家)
◎ディスコグラフィー:宝塚歌劇「剣と恋と虹と/ジュビレーション!」(1995/12/21発売)の中で、本名 (大町達人)で作曲家として参加しています。

◎今までミュージカルの作曲家としてやってましたが、「自ら歌いたい」思い覚めやらず、遅蒔きながらついにデビューとなりました。「若さバンバン」「ライブがんがん」な人達のようにはいきませんが、「歌」に対する思いは負けません。今の僕にしか歌えない歌、聞いて下さい。
 幼稚園の頃から歌う事が大好きで、地元鹿児島のあるノド自慢で優勝(!)。歌手 の物まねをしたり、鼻歌で作詞作曲したり。小学4年〜6年に鼓笛隊に所属しリコー ダーや小太鼓を担当。  中学の頃からユーミンや小椋桂などをよく聞く。ラジカセの音質が気に入らず、拾っ て来たスピーカーをバラして自分なりに作って遊んでいた。買った時計のおまけの白 いフォークギターでギターを始めたがコードを押さえられず挫折。興味はバイクに移 る。  高校2年の時、学校の文化祭で友達が歌っていたのに衝撃を受け、再びギターを始 めた。が、やはりバイク少年のままだった。  鈴鹿サーキットにあこがれ、近くの名古屋の大学に入学。1年の時、先輩に合唱& 歌創作サークルにむりやり入れさせられる。入ってみたらおもしろく、バイク事故を きっかけに興味は「歌創作&歌唱」へ。シンセサイザーを買い込み、多重録音を始め る。就職を考えるころには歌や音楽の「伝える力」に強く惹かれ、なんらかの形で携 わりたいと思うようになる。  大学の専攻とは違う音楽関係の会社に就職するが、全く関係ない部署専門になりそ うになり1年で退職。歌に関わるなら「自分で作って歌う」しか無くなった。  1989年、27歳、遅い上京。ただ「作ってはオーディションに送る」だけの日々が 続く。友達とバンドを組んでライブも数回やったが長続きしなかった。1993年、縁あっ て、それまでとは全く違う打ち込みをやることになる。大阪花博で立ち上げた「ミク ル・ミュージカルカンパニー」の舞台音楽である。映画が小さいころから好きだった ので「シーンに音をつける」事がなんとなく出来た。以来2005年まで、「明日の空へ 」「メッセンジャー」「パートタイムハイスクール」「Let's ウエディング」「がん ばれ!ダストバスターズ」「翔け!ゴールデンバード」「マーメイドの約束…シーナ」 「魔法園児マモルワタル」などミクル作品はほとんど全て作曲する。作詞や脚本、場 合によってはキャラクターデザインにも携わる。ミクルの仕事を通 して宝塚歌劇の演 出家石田昌也氏に気に入られ、1995年にはレビュー「ジュビレーション!」の2シー ンの作曲。また、滋賀県の市民ミュージカルCRMSの音楽も「ジェネレーション…待ち 合い室の人々」「湖の伝説」「給食物語」など数作品手掛ける。スポット的にホーム ページオープンのMEの作編曲や競馬場のBGMアレンジも行う。  ミュージカルの作曲をやりながら、本来の「自ら作って歌いたい」気持ちは消えず、 友人のインターネットラジオにシンガー&ソングライターとして出演したり、オーディ ションへの応募も続けていた。日が経つ程に、気持ちはどんどん高まっていった。  気がつけば40歳を過ぎていた。続けるかやめるか。答えは「やる!」。新たな気 持ちでオーディションに応募。これまでの経験が買われ、新生、メジャーデビューが 決まった。  2006年、ファーストシングル「願い」発表。今の自分にしか伝えられない事を 伝えるために、「達人」は歌いはじめた。
 
アーティスト ホームページ http://www.tatsuto.net/
 
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